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ひとりごと・・・

昨夜、どうしても言い切りたかったことがある。

Q)なぜ、自給自足にこだわるのか?
100%自給自足すると、それを仕事にしている人の生きる糧を奪ってしまうのではないか?

と、問われた。

A)自給自足するというのは、自分で全ての“責任を持つこと”だと思う。
今の私は、大変な事を他人任せにしたり、汚いものを見ないようにして生活している。

自分が生きるために消費している物や事が、地球環境を汚染せず、持続可能で、栽培や精算、販売している人たち皆が健康で幸せなら、それらを使う。
全て自力で賄う能力を持っていない(努力不足も含め)私は、ぜひ、使いたい。

しかし、今、日本の世の中で、そういったものが手に入るだろうか?

誰かを虐げ、自然を破壊し、水や土地を汚し、そこに棲む生き物たちが苦しみ、人々が不健康になっている。
それでも、そういった商品(サービス)を使って生きている。
とても歯がゆい気持ちを持っていて、10代の頃は、自分が生きていることが罪のような気がしていたこともあった。

自分が気持ちよく生きるためには、出来るだけ地球や生き物(人間も含め)に負荷をかけないで、お互い助け合っていきたいと願う。

だから、マクロビオティックという手段を使って、自分の想いを伝え、皆が暮らしや生き方を見つめ、各人の“more better”を目指していけたらと考えている。

と伝えたかった。
でも、『そういう言葉遊び、嫌い!』と言われたので伝えることが出来ず、私の中で消化不良になってしまった。

伝えることを大事に思っているので、出来るだけ正確に“お互いの”考えを共有したいと思っている。
例えば、『叱る』と『怒る』の意味が違うということにコダワってしまう。
叱るは、理由を説明して“諭す”ことで、
怒るは、感情に任せて“怒りをぶつける”ことだと理解している。

〈なんとなく〉で伝わるものもあるし、その方が深い時もあるかもしれないが。
同じ言語を使い、同じ時代を生きてきた人たちでも、やはり全てを理解することは不可能。
だからこそ、理解する道具の一つとして〈言葉〉が生まれたんだと思う。
私は、哲学的にグルグル考えたり、他人とディスカッションするのが好きな方だ。
あまり行き過ぎると皆が引いてしまうので、いつもはナリを潜めているが、私の子どものような素直な心はそんな感じだ。

価値観やセンス、大事にしていることが一人一人違うので、理解し合えないのだろうが、とても消化不良だった・・・

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