菊芋
今年も菊芋が芽を出しました
草に埋もれても負けないで、本当に強いですね
でも、雨が降ってくれないので、ちょっと元気が無いよ
のほほん村では、おばあちゃんたちの日でした。
そのお一人が、紐とボタンとフェルトで花のブローチを作り
皆さんにプレゼントしてくださいました。。
ちょうど、紫色の服に、花びらの紫がピッタリですよね
私たちには、オレンジ色の花を下さいました
今年もまた、白くて可憐な花が咲きました
枝のいたるところに花が付き、
シトラスの甘い香りが漂っています。
蕾です↓
最近は、環境汚染が進み、蜂が減っているそうです。
そうすると、実を結んでくれないので心配です。
今日は、のほほん村で、フラワーアレンジメントのワークショップが行われ、
キレイな花々が、部屋を彩ってくれました
同じ種類の花を使っても、活ける人のセンスによって
出来上がったものの表情が違ってますね~
私は、シンプルなものが好きなので、
村長さんが活けた、このアレンジが好きですね~
素朴で、力強くて、勢いがありませんか?
のほほん畑の様子です
背の高い竹を添え木にして、野菜の成長を支えます。
ひょっと見ると、花が咲いているではないか
こっちは、ウリ科だね。
キュウリかなぁ?
こっちは、ナス科だね。
トマトかな。
暑い日が続くから早めに花が咲いたのかしら
ツクシの親、スギナで~す
今の季節、畑にたくさん生えていませんか?
洗って、沸騰した湯の中に入れて5分程度で、
黄緑色のお茶が出来ます。
リュウマチ、神経痛、関節炎、肺結核はじめ、
慢性気管支炎、肺治療にも効果があるそうです。
香りも味も、草って感じです。
家族には好評でしたよ
今年、初、収穫でしたよ~
昨日の雨で、割れてしまった実もあります。
鳥に食べられないように、網をかけてますが、
ヒヨドリは頭が良いからなぁ
尾道や福山よりも、1ヶ月くらい早いみたい。
向島は暖かいんだね~
バガパン工房さんで、子どもの日のピザの会がありました
天然酵母のパン生地を広げ、思い思いの具をトッピング
パン職人が、石窯で焼いてくれます
石窯の中は、薪が燃えていて、熱い
数分で焼けるんですよ。
個性的なピザが焼きあがりました
皆さん、美味しいと、ご満悦です
れいこう堂さんの主催で、
福島の方々と、芝生の上で、交流会が行われました。
縄跳びやボールで遊んだり、ランチを食べたり、ライブがあったり
私は、バガパン工房さんのパンで、バーガーを作り、
寒天ゼリーとのセットを提供
福島の方々が、ご自身の状況を報告される時間では、
『私たち家族は、福島に残ることを決意しました。
そうするまでには、ずいぶん悩みましたし、時間も必要でした。
でも、将来、病気になることを心配し、愛する人たちと分かれて暮らすよりも
今を大切に暮らしていくことを話し合って、選びました』 と
すっきりした表情で話されていました。
怒りや悲しみをどのように受け止め、乗り越えられたのですか?という質問に
『怒りや悲しみを 人が抱えられる許容量の限界というのがあるんだと思います。
怒り続けたり、悲しみ続けるのには、とてもエネルギーが必要です。
私たちは24時間、365日、ずっと緊張をしいられています。
ネガティブな感情は持続しないんです』
と。
『様々な感情を経験しました。
地震があって、大きな恐怖を感じ、家族が無事で、心から安心し、
原発事故を知って憤り、その後の生活に不安を感じ、
多くの方々の応援に感謝をしています』 と。
『尾道の人たちには、とても良くしてもらって、
そのご恩をどのように返して行ったら良いのでしょうか?
私たちには、何もお返し出来るのもが無いのです。
福島のものを送っても迷惑がられるだろうし・・・』と、
とても悲しそうな表情をされます。
自分たちの町の特産品や気持ちのお返しが迷惑だなんて
悲しすぎます
(偽善者っぽい言い方かもしれないけど)
こうやって、尾道に居て、支援が出来ることが私の喜びなんですよ。
‘恩’って、受けた人に直接返すのではなく、誰か他の人に返すので十分なんですよね。
私も誰かから頂いた‘恩’をこうやって、福島の方々にお返し出来るのが
嬉しいんですから
彼らの話を聞いて、肥田先生の “覚悟を決める” という話を思い出しました。
私もここで生きていくことに、改めて向き合うことの出来たご縁でした。
れいこう堂さん&ひなの会さんが
福島からの家族をGWの間、受け入れされました。
私は、そのウエルカムパーティーのご飯を作りました
ほとんどが、福島市からおこしくださって、
広島県はもとより、西日本を訪れるのも初めての方々でした。
きっと、放射能の影響で、筍やワラビ、フキなどの
春の山菜を食べることが出来なかっただろうと思い、
用意させていただくと、
『山菜は、毎年、自分で山や野で採って食べていました。
でも、昨年も今年も出来ませんでした。
すごく、美味しいです』
とおっしゃってくださいました。
一緒に夕食を食べながら、福島での生活を伺うと
『子どもたちを外で遊ばせることが出来なくて、とても心配。
福島には、家族、親戚、友人も居るので、残るか、移住するか
まだ、決められずにいます。』
移住した人たちに対して思うことは?
『それを許してくれる環境や状況があることに対して
正直、うらやましいです。
決断することが出来る気持ちも。』
驚いたことに、
『今まで、様々な差別に遭いました。
福島から来たというと、“除染して入ってくれ”とか
“泊まった宿で別の風呂を用意されたり”
“車を別の場所に駐車したり”と。
とてもくやしくて、悲しくなりました』
広島でも原爆後の差別について、聞いていましたが
今の日本でも、そんなことを考え、差別する人たちが(わずかでしょうが)居ることに
憤りを覚えます。
『福島と、味噌や醤油の味付けがこっちと違うね。
もっと、しょっぱいよ。』
『福島の中でも、会津地方や海岸の方では、食文化が違うのよ』
など、故郷をとても愛している様子が伺えました。
『GWは、尾道を散策したり、瀬戸内海を訪ねたり、
子どもたちを外で思いっきり遊ばせたい。
そして、尾道に住む人たちの暮らしを尋ねて
これからの、暮らしを考えていきたい。』と、
楽しみでもあり、複雑な表情をされていました。
原発事故で、彼らの人生設計は大きく変わってしまいました。
まだ若いお父さんお母さん、無邪気な子どもたち。
直接、お会いすると、決して遠い世界の話ではなく
自分と同じ一人の人格として、
多くの人たちが、悔いのない人生を歩んでいけることを願っています。
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